OB・OGインタビュー
2017.06.05

平成22年より開始し、初年度は「プロジェクトA」、次いで「アニメミライ」、「あにめたまご」というネーミングで実施されてきた「若手アニメーター等人材育成事業」。
過去に若手アニメーターとして参加し、現在もアニメーターとして活躍している方のインタビューを行いました。




佐野聡彦
参加作品:
《PROJECT A》(※アニメミライ2011)
『キズナ一撃』 (アニメーション制作:アセンション)原画

主な作品、担当職:
「FAIRY TAIL(二期)」キャラクターデザイン、総作画監督
「ヘボット!」キャラクターデザイン、総作画監督

 僕が参加させていただいたのはプロジェクトの第1回目、まだ《PROJECT A》という名称のときでした。
 今はどういうルールかわからないですけど、当時は原画歴とか年齢とか、育成する若手の条件がいくつかありまして、アセンションさんのほうで、どうもその条件に見合う若手が足りなかったみたいなんですね。それで僕が所属しているWishから3人出向させていただくことになったんです。僕自身は当時キャリアとしては3年目で、動画1年、原画1年半ほどやらせていただいたくらいの時期での参加でした。




 作業形態としては、確か11時までに出社して18時には帰社、土日は休みという、普通の仕事みたいに正しく働こうという(笑)かっちりした時間の規制がありまして、原画単価の設定も『キズナ一撃』ではABCDとコンテのランクがあり、Dが一番重たいカットで、それらに応じて原画単価の設定を変えるという試みもやっていました。


 その中で、僕はあまり優秀なアニメーターではなかったですね(苦笑)。それまで触れたことのない類の作品だったもので、そもそもあの独自のタッチの絵が当時は全然描けなくて、結構苦労しました。提出してはリテイクを出されて、直したけど最終的には全修される。当時はかなりショックでしたね。


 でも、今振り返ると「そういうもんだよな」と思いますし、やはり参加できてよかったと思っています。それまでは生活が苦しく締め切りも短い中、レイアウトを出して全修されたものを、よく理解しないままになぞるといったことしかやってきてなかったんです。


 特に下請けの場合、1クッション入ることもあってか、「なぜそういう描き方をしなければいけないのか?」とか、正しい情報がこちらに伝わらないまま作業しなければならないことも多かった。それが『キズナ一撃』ではリテイクされるごとにその理由を説明されることで、1カット1カットをメリハリをつけながら追求していくという、そんな感覚が身についていきました。




 夏から冬までの間、講習が月に1回ありましたが、これまで触れることのなかった方々のお話などいろいろ聞けてすごく有意義でしたね。そのとき採ったノートは今も大事に持っています。またそのとき他のスタジオの人たちとも話す機会があったのですが、会社ごとに制作体制やら報酬やらシステムが違うんだなってことも知ることができましたね。


 当時は作画監督さんにだいぶ迷惑をかけてしまったというか、実は『キズナ一撃』という作品の中で、自分は何の戦力にもなってなかった。でも、そういった注意を受けた直後とか、急激に上手くなることってないんですけど、だんだんそれらが蓄積されて半年や1年くらい経った後、気が付くとちょっと“何か”が伸びていて、そこからが本当のスタートであると思えるようになっていきました。


 この業界、結構マイナス思考で病んでいく人も多いんですけど、そんなに落ち込まないで、なるべく気楽に行こうよと、今の新人若手のみなさんには伝えたいですね。僕自身、今でこそキャラクター・デザインや総作画監督などやらせていただいていますが、最初の3年は本当に使えないヤツで、実はマイナス思考の人間でもありましたので。






村山章子
参加作品:
《アニメミライ2012》2011年度
『わすれなぐも』 (アニメーション制作:プロダクションI.G.)原画

主な作品、担当職:
「翠星のガルガンティア」プロップデザイン、原画
「ジョーカー・ゲーム」プロップデザイン

 プロダクションI.G.で動画を3年ほどやらせていただき、ちょうど原画になりたての頃、《アニメミライ2012》に参加させていただくことになりました。まだ新人でお金も稼げない頃、そういった部分を補完していただいた上で勉強できる機会が与えられるなんてそうそうないことですから、率直に「助かる!」といった印象でしたね。


 月イチの講座は、自分が想像していたものとはかなり違っていて、写真とか演技の指導とか、特に実際に体を動かしてみるとか、かなりびっくりしました。でも今振り返りますと、それらがすごく活きていまして、結局、机に向かっているだけではダメで、経験とか知識とか総合しながらやる仕事なんだなという認識ができました。


 他のスタジオの若手さんたちともそこで交流することができて、会社によって個性の違いとか待遇の違いとか(笑)、知らされることも多かったです。今もあのときのみなさんのお名前をクレジットで見かけたりすると、「みんな頑張ってるな」と励まされたりもします。


 仕事は朝から夕方までで、残業はなし、休日は休みという縛りは、私にはありがたかったですね。それまで不規則になりがちだった生活のリズムが安定してきて、体調も良くなりましたし(笑)。ただ、全カット・リテイクみたいなことがあったりしたときは、残り時間がなくて焦ったりもしました。


 リテイクの際、知識も技術も未熟なのに調べたり考えたりが足りず、なんとなく描いてしまっていた事を一瞬で見抜かれて指摘されていき、ものすごく反省しました。以後は意識がガラリと変わり、全力で突き詰めていかないとこの先プロとしてやっていってはいけないと、ある意味プロとしての「覚悟」が決まったように思います。


 社内では同期の仲間とコミュニケーションをとったりしていましたが、一方では「あの人は上手い」「あの子は早い」とかそういうものもありますので、どこかでライバル視している部分もあったかもしれません(笑)。でも、それまでみんな個人主義でやっていたのが、《アニメミライ》ではチーム戦をやっているような感もありましたし、それは私たちにとっても作品にとっても、プラスになったような気もしています。完成した作品を見たときも、手掛けている人たちの「顔」が見えて、いつもと違う感動がありました。他社さんの作品の出来もすごく気になりましたね(笑)。やはりどこかライバル心があったのでしょう。


 現在、私はI.G.を離れて横浜アニメーションラボでデジタル作画でのアニメーターの仕事がどこまで対応できるか、効率が上がるか、仕事の幅が広げられるか実験、研究をしています。作画がデジタル化していく過渡期の中、私たちが新しく道を切り開いていけば、後輩たちも続いて来れるという期待をこめてやらせていただいていますが、これも《アニメミライ》で厳しい道のりを体験させていただいたからこそやれていることかな、とも(笑)。


 あの当時、監督と作監さんから言われた言葉の数々は今も忘れられないですし、それを実践しようと努めている日々でもあります。また、だからこそ今もこうして自分が生き残れている礎になっていると思えますし、これからはもっと成果を出していきたいですね。